2017年美術展


美術展ぴあ2017 (ぴあMOOK)
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たまたまコンビニで見つけたものですが、地方の美術館、博物館の予定なども載ってるので、なかなか便利です。そんなに高くもないですし。

2017年も注目美術展は色々ありますが、個人的にちょっと魅かれたのは、4月11日から5月21まで京都国立博物館で開催される、海北友松の展覧会。
なぜなら、海北友松は、石田三成とも交流があったから。(結局そこかい)。
一緒に九州旅行も計画していた仲ですしね。

三成は、博多奉行やってた事もあって、九州好きですよね。
思い入れがあるのだと思います。
湖北出身の割には、なんとなく寒いの苦手そうですし。
黒田と加藤除いて、九州は西軍多いですしね。
九州加増の話には、結局中枢から離れないことを選びましたが、かなり悩んだと思います。

安土・桃山時代の絵師としては、狩野永徳や長谷川等伯が有名ですが、海北友松は、そうした天下人の仕事をしていたわけではないけど、自らの芸術を理解してくれる教養ある友人のために制作した人ということで、東京のみでしたら諦めますが、京都なら近いので(愛知でやってくれたらよかったのですが)、行けたら行ってみたいと思っています。

この記事へのコメント

YU-KI
2017年01月15日 11:10
そちらは昨日初雪とか、こちらは薄っらですが積もってきたところで、ようやく冬らしくなってきました。

美術誌のご紹介ありがとうございます。全国の予定も載っているなら地方民にもお買い得ですね。本屋さんで探してみようと思います。

知らない絵師さんですが、杏奈さんのご紹介で俄然興味がわきました。
一緒に旅行計画立ててたんですね。
失礼な話ですが、そんなに仲がイイ人いたんだなぁと。
個人的なイメージは計画立てて、ひとりで青春18キップ買って黙々と立てたタイムスケジュール通り行きそうな感じなので。

京都は今アツいですよね。大政奉還150周年で、関連イベントとか凄いみたいですし、京都の知人も戦国イベントありますよって言っていたから、杏奈さんの記事のことかなぁと。

博多はイイ街ですが、冬はそれなりに寒いです。此方ほどではないですが。大垣に先月参りましたが、夕方はともかく昼間は暖かいので、近江もそんなに寒くないのではないかなぁと(余談ですが12月末の京都も寒くなかったので。バス停に弄ばれて迷子になった寒い出来事はありましたが)

個人的に黒田は九州の方は潜在的西軍だと思ってます。逸話にしても命懸けで頑張って武功あげた息子に対して『お前はアホか!』みたいなこと言う如水、アンタ頭イイ設定なんだから、息子の動向ぐらい分かりそうなもんなのに、その言い草はないだろうと。もし逸話が本当なら長政は『お前は九州で何暴れくさっとたんじゃー!このギラギラ隠居!ギラギラするのは頭だけにしとけ!』ってキレてもいいと思います。
YU-KI
2017年01月15日 11:19
カンベーでは所望した湯付けの代わりに、母と妻と家中の女衆に総出で吊し上げ食らうし、しかも戦から命懸けで戦って帰ってきたのに……戦場より実家の方がアウェーってどういうことだ。でも何だかんだで結果として黒田が幕末まで続いたわけですし長政の働きで。その息子で如水の孫はアホでしたが長政が家督譲るの躊躇うくらいの。
長政も手柄泥棒される側だから色々気の毒だなと。場外でも、長政は生涯、正室は2人、しかもきちんと離縁してから迎えてる&側室は1人なのに、何故かカンベーの特番で糸役の高畑充希さんに『史実でも女の人取っ替えっ返してて……』と言われるし、個人的には戦国武将の割には少ない方だと思いますが、糸との離縁は、結婚してから9年近く経っても女児1人しか産まないし(戦国価値観で話してます)、実家も蜂須賀家でそこまで名家ではないし、徳川からの命令で家康の姪で養女の栄を貰うなら、まさか栄を側室扱いするわけにいかないから離縁は仕方ない話ですし、それでも糸との間に生まれた女児は黒田の重臣の井上家に嫁ぎ、長政の娘の中では唯一大名家に嫁げなかったから不憫に思った長政が母の光の遺産を全て彼女に相続させたりと彼なりにフォローしてるんですが……あと、最近、長政の娘が徳川家光の正室になる話があったけれど頓挫したという話をきき(江との書簡のやり取りがあったようです)、頓挫した理由が気になりますが、歴史のお約束で頓挫した理由は不明だそうです。(本当にそういう大事なことがフワッとしてるよなぁと。)長政が取っ替えひっかえなら、伊達のマー君とかもう色情狂じゃないかと、何せ側室に外国人いましたから。女性の趣味の許容範囲はボーダーレスかと。世界基準かと。
YU-KI
2017年01月15日 11:38
安土桃山は、仰るように狩野派と長谷川等伯が有名ですが、長谷川等伯も苦労してるんですよ。史実では狩野派にいじめられて絵師として生命絶たれる寸前まで追い込まれて、へうげものではゲヒッ殿に無茶ぶりされて……理不尽にキレられて……。彼は無名のまま30代で北陸の末端である能登から上京して、本当に個人で大企業の狩野派とやり合って血を流して有名絵師の名を獲得した人物でもあり1代で長谷川派を築くも、跡取りと期待した長男が29で急逝(死亡原因不明)、次に跡取りとなった息子たちは内部分裂のお家騒動も起こして(しかも才能がない)結局、長谷川派は彼1代限りのものにはなりましたが、長男が急逝した時期に描かれたと思われる国宝・松林図屏風は本当に素晴らしいですよ。私は国宝で凄いと思ったのは阿修羅像と松林図屏風だけなのですが、松林図屏風は何というか、自分が水墨画絵師なら、松林図屏風に到達しょうと努力して努力して、届かなくて、壊れて、絶望して最後には首吊るだろうなぁ位の凄味があると思ってます。誰が言っていたは忘れましたが、“本物の美術はただの鑑賞物でも好事家や大衆の玩具でもない。本物の美術は、この世でもっとも残酷で美しい凶器である。あれらは人の運命を容易く変えれば、アッサリと人の命も奪う。美術が美しい楽しい等という人間は幸福にも不幸にも本物を観たことがないだけなのだ。”という言葉を思い出しました。

長谷川等伯は七尾美術館で春と秋に特別展があるので毎回行くのですが、毎回、枯れの凄みに圧倒されてしまいます。

ご紹介の絵師さんも観てみたいです。
2017年01月15日 16:02
YU-KIさん、こんにちは♪
今江戸東京博物館で、戦国時代展やってますが(今週金曜日BS日テレでの「ぶらぶら美術・博物館」でも紹介されるようです)、2月から京都で、4月末から米沢市でも開催されるようです。
かなり先の話ですが、京都国立博物館では、開館120周年記念として10月から国宝展も開催されるようです。
このあたりも注目ですね。

近江は、三成の実家があった湖北あたりは雪が多く降って寒いようです。
あの辺りは、湖北と湖南で大きく気候が異なるのだとか。後者は瀬戸内海気候に属しますが、前者は裏日本式気候に近く、雪も深いらしいです。
冬の近江に、実際に行ったことはありませんが。

カンベーの長政吊し上げの回は、評判悪かったですね。
実際黒田官兵衛の軍師像というのは後世作られたもので、実際には軍師なんて役職もないし、本能寺の変の時「御運が回ってきましたな」?とかも言ってない。
後世子孫が作らせた「黒田家譜」は官兵衛偉い、他は馬鹿みたいな内容のようですが、そんな「黒田家譜」ですら、城井谷(だったかな)の悲劇の官兵衛の残忍性は隠してないらしいのに、ドラマではあの有様。

官兵衛が天下狙ってたなんて嘘っぱちですし(常識的に考えて、そんなわけない)、関ヶ原の東軍裏MVPである息子の長政に「お前の左手は何してた」なんて実際には言ってません。
左手どうのという逸話は、出所すら不明なのではないかと思います。
考証の小和田先生も「そんな逸話嘘だから入れたくない」と言ったらしいのですが。

実際の黒田官兵衛も困惑なドラマだったと思います。あんなボンクラに描かれたくなかったでしょうに。あの長政はグレなかったのが不思議なくらいでしたね。
2017年01月15日 16:35
海北友松について、そんなに詳しくはないのですが、近江出身で浅井家の家臣の子だったようなのですが、父も兄も戦死。禅僧になった後絵師に。
武士としてお家再興したかったようですが、それは叶わず。
三成との九州旅行は、ほんとに物見遊山の単なる観光みたいでしたが、たしか秀吉の容態が悪くなって実現しなかったのだった、かな。この辺りうろ覚えで、間違ってたら申し訳ないですが。

黒田長政と糸との娘はその後どうなったのかと思っていたので、ありがとうございました。
長政と糸(本名は違うと思いますが)の離縁は、ちょっと謎なんですよね。
ドラマでは糸を鬱にしたりしてましたが。
一応糸は秀吉の養女になって嫁いだという名目でしたが、蜂須賀家だって東軍なので、離縁までする必要はないんですよね。
実際蜂須賀家は激怒してますし。
結婚は家と家を結ぶものなので、子供が生まれなくても離縁させられることはない。
腹は借り腹という時代なので、側室が生めばいいので。
男子生んでない正室なんて他にいるでしょうが、それで離縁という事はないはずです。
栄姫を側室にできなければ、糸を側室にという選択もあったはずで。
それだけ黒田長政の、徳川にかける思いの本気が見える気がします。
というか、伊達のマー君って側室に外国の女性いたんですか。さすが世界基準。
2017年01月15日 16:43
狩野派と長谷川等伯については、たしか「英雄たちの選択」の前にやってた番組「ライバルたちの光芒」だったかな?で見た覚えがあります。
長谷川等伯、苦労人でしたね。
期待していた息子にも先立たれてしまって。
派手好きの秀吉すら、等伯の事は評価していたとか。
本物の美術に対する言葉も、凄みがありますね。
個人的には美術は楽しいものだと思いたいので、まだまだ修行が足りないようです。
長谷川等伯も、どんどん見ていきたいです。
では♪
YU-KI
2017年01月16日 23:25
情報ありがとうございました。どれもいけないなぁ。来月上京するので、江戸博物館には行けそうです。イベントの残り香だけ嗅いできます(笑)

確かに良くグレなかったなぁと。
それに万が一、黒田が天下取ったにしても継続は出来ないような気がします。
あれは本当逸話にしても酷いと私も思います。頭良いんだから自分が作った息子の動向くらい分かるだろうと。頭良い設定どこ行った?みたいな。

御運発言で思い出しましたが、民間の伝承レベルなんですが、秀吉さん、高松城攻めの時、行きからどうも道路整備していたようで、だからすんなり大返し出来たみたいな話を聞いたことがあります。

信長さん呼ぶつもりだったみたいだから、来てもらう用に整備していたにしても、整備する暇あるなら、早く行けば良いのにとも思ったりで、よう分からん話だなと、へうげものはコレを採用したんだろうなぁと。

へうげものの細川親子のレベルが高すぎるガチの肉弾戦親子喧嘩は有り得ないだろう笑いつつも何故か許せた記憶があります(幽齋様、牛1頭殴り殺した逸話持ちありですが)

お役にたてたなら何よりです。
でも私は離縁正解だと思います。糸離縁で栄輿入れが関ヶ原直前で豊臣と徳川微妙な時期でしたし。
結局、糸を側室に降格したら、実家は元は夜盗の蜂須賀とは言え、秀吉の養女(これも実は確定的な話ではなく、そうなんじゃないの?らしいですね)なんだから、「豊臣が下と言うことか!」って、メンドクサイことになるの山の如しで目に見えていたからじゃないのかなと。(正室の条件って家柄の高さですからね。女衆のトップ)

しかも栄姫は、家康のただの姪ではなく、栄姫の母親は家康とは同じ腹から生まれたら正真正銘混じりっけなしの伯父と姪ですし。側室には出来ない人ですよね。
YU-KI
2017年01月16日 23:42
どうせ揉めるなら、出しちゃえ。男子も生んでないしとなったんじゃないかなと。(江も離縁させられてなくても、続けざまに女児ばかり続いて、かなりキツく責められてましたからね家康に。いくら正室があげなくてもいいにしても、やっぱりあの時代、子供生まないのは肩身が相当狭かったんではないかと。あそこは側室がいなかったからという特殊事情でしたが。※保科正之の母も側室というにはちょっとなぁ)
離縁しやすかったのかなぁと、確かに仰るように腹は借り腹で、側室が産んだ男児を正室の養子にしていたケースもありますが、黒田は側室がいても、そもそも養子にする男子もいないし、別に蜂須賀と揉めたところで黒田に決定的なデメリットもないし、蜂須賀が激怒するのも分かりますが、黒田からしたら「別に怒らせてもデメリットないし、勝手に怒らせとけ」だったのかなと。(こちらが悪い、悪くない場合でも、謝罪や適切なことしても根に持つ人間はいつまでも持ちますし、別にこちらにデメリットないなら、どうぞ勝手にキレててくださいというスタンスだったのかなと)蜂須賀も徳川の親戚に何かしでかすほど判断力がないわけじゃないと思いますし……ただ、ドラマみたいに欝はないかなと。

ただ、濃姫と信長さんは斎藤道三没後、離縁してますし(この御夫婦、子供いません。)この離縁は濃姫からの希望という話もありますが……。

やっぱり、子供(男子)いないとキツイ面もあったんじゃないかなと思います。

個人的には、明治天皇からも「盗人の家系は所詮、子孫もそんなものか」的なことを言われた蜂須賀とは縁切りできて良かったんでないかとは思います。

YU-KI
2017年01月16日 23:55
あと、信長さんに唯一お世辞言わせた福井県の武将朝倉義景は子供がいないという理由で正室を離縁してますので、子供いないは十分離縁理由になるのではないのかなぁと。

そして、ちょっと怖い話ですが……子供がいない、男子生んでない正室たちは悉く、どんな有名武将の正室さんでも何故か、その後の行方や没年も不明の「行方不明」なんだとか。
2017年01月20日 21:44
「軍師官兵衛」の黒田官兵衛像は、ブレブレでしたね。岡田さんもやり難かったようです。
非常に出来の悪い脚本で、多くの史実の人物が貶められていましたが、特に主役の史実の黒田官兵衛は気の毒に思いました。
左手どうのの逸話は、人気あるのでしょうかね。
何が面白いのやらさっぱりですが。
やっぱりあれは酷かったですよね。

蜂須賀に厳しいですね(笑)。

離縁の件は、理屈では分かるんですよ。
たしかに正解です。
あの時点で黒田長政が、糸の気持ちが、とか蜂須賀家への義理が、とかであの時ああした迅速な決断をしなかったら、豊臣恩顧系大名でありながら、あそこまで黒田が安泰とはなり得なかったでしょう。
まさに黒田長政は、家を、一族郎党を救ったのです。

ただ、個人的感情としては「黒田長政、凄いねー(棒)」とどうしてもなりますが、感情は如何ともしがたいので、あまり気にしないでくださいませ。
2017年01月20日 22:06
戦国の婚姻の一番の目的は、家と家をつなぐことなので、糸(にあたる人)そういう役目は果たしていたと思うので、実家との関係が悪くなったわけでもないのに離縁は、なくはなくても、やはり特殊な例かなという気はします。

おそらく離縁となる一番の理由は、実家と嫁ぎ先の関係が悪くなった、敵対することになった、利害が一致しなくなった、など。
武田と今川とか。
武田義信の正室は、ドラマでは子供いないことにされてましたが、実際には一男一女がいたんじゃなかったかな。
北条氏政の正室も、男子含め5人も産んでも、実家に帰るはめに。
まさに縁クラッシャー信玄。

今でも旧家に嫁がれた年配の方などは、男子をあげられないと辛い思いをされた方いらっしゃると思いますが、戦国でもそういう思いはしても、離縁となるかというと、そういう例はあるにしても、絶対的なものではなく、家それぞれかなという気はします。側室制度がありますしね。

女性は記録に残りにくいので、男子生んでないとますます記録に残りにくいのかな。そういう事でなかったらすみません。

戦国の離縁事情も、単純なものではなく、色々複合的なものが重なってかな、という気がしました。
決まりがあるわけでもなさそうですし。色々な例がありますしね。
では♪
2017年01月20日 22:20
すみません、武田義信と正室との間には、一女がいただけだったかな。
どこかで一男一女という記述を見たような気がしてしまっていましたが、うろ覚え(そういうのばっかり)で不確実な事書いてしまって申し訳ないです。
YU-KI
2017年01月21日 17:02
やっぱり、アメブロのナウ機能で大河実況してましたが、実況一緒にしていた人達とも“カンベー性格変わりすぎじゃね?長政可哀想”でしたから、演じる側は辛いですよね。

左手は多分、反骨精神?好きな日本人のサガかなと。そのわりに実際は立ち上がり実行する人が少ないとは思いますが。おまけにひとりでも戦ってる人に対してすり寄ったり、自分達も楽して甘い汁吸いたいのか助けろと言ってきたり、断ると凄い言葉で罵って掌返ししたり……見てても何だかなぁと思います。ヒーローになりたいけどなれない群衆心理の現れかなと個人的に勝手に思ってます。


蜂須賀はたぶん思い入れがないのと、子孫の「盗人が先祖なんて困る!」と先祖あっての自分達なのに、その発言はなぁと。戦国時代に夜盗は別にそこまで卑しい事でもないし、明治天皇に皮肉言われたのは今の子孫の行いもあるからだしと。
蜂須賀自身は百数十年ぶり黒田と和解した時点で徳川から養子貰ってるから、実際本当の先祖ではないんですが。

あと、たった1度の離縁の話をその後に正式に抗議するなり、徳川に訴えるなり、きちんと抗議もせずに血が絶えるまで挨拶もせずに拗ねる行為しか出来ないのも大人として藩主としてどうなの?みたいな。
感情は杏奈さんが仰るように自由ですから何を思うのも自由だと思うんです。ただ、態度に出すのはなぁと……結局、損するのは自分であり子孫ですし。
YU-KI
2017年01月21日 17:23
ここで戦国時代の離縁理由に興味が湧き色々今調べてますが、ロック過ぎて笑っちゃいけないんだろうけど笑ってしまう今日この頃です。

中には「バンドの解散理由かよ!」とか、「時代を先どったんやねぇ(目反らし)」等、けっこうバラバラバラバラエティーに富んでるなぁと。

仰るように本来は家と家との楔な訳ですから、離縁は重大案件なわけで、その理由については現代人の私でさえ引いてたケースもありますから、当時の人はどう思ったのか気になります。

中でも、これはダメだろうと思ったのが戦国時代ネタキャラ担当のオッキーこと細川忠興で、嫡男の忠隆の妻である前田千代(前田利家の娘)が、ガラシャを守れなかったとの理由で「離縁しろ!」と離縁迫った件かなと(忠敬は「そんなアホなこと出来るかあ!」と当たり前のこと言っただけなのに、忠興、何故か彼を重臣にノー相談で廃嫡します。忠隆は、その後、千代と共に京都の吉田で隠居していた祖父の幽齋のもとに夫婦で身を寄せ暮らすことに)

でもガラシャが死んだのは「捕まる位なら自害しろ。いつも言ってるけどお前は美しいんだから捕まったら何されるか分からないから!」と念押しして出陣した忠興のせいのような気がしますが(私からしたら、忠興が1番危ないと思いますが。ていうか三成公や西軍にも失礼だよな、その発想みたいな)

ちなみに千代ちゃんは、結構屋敷が落ちるギリギリまでガラシャに逃げようと説得してました(ガラシャから「逃げなさい」と言われて泣く泣く脱出したんですけどね。)

忠興も冠婚葬祭系以外でも、結構人間関係破壊しているので、武田信玄に並ぶ縁クラッシャーだと思います。

ありがとうございます。昔ですから色々曖昧ですよね。
そうだと思います。男子産まないと居ない扱いかぁと……寂しい話です。
YU-KI
2017年01月21日 17:43
忠興が廃嫡した忠隆ですが、入力ミスで忠敬になってますが、正しくは忠隆です。失礼しました。

ちなみに大坂の陣で、父に歯向かい豊臣側に回った次男の興秋ですが(家康が止めたにも関わらず忠興が捕縛後に斬首する)、ガラシャの父である明智光秀が本能寺の変を起こした直後に、どうしてもガラシャを離縁出来ない忠興が、彼女を味土野に幽閉。
幽閉中でもせっせと通い詰めた結果、幽閉中に出来て生まれたのが彼だったりします。幽閉の意味知ってるのかなぁと調べた此方が気が遠くなりかけた記憶があります。(ちなみに私は興秋を味土野ベイベーと呼んでます。)

で、兄たちの不幸で棚ぼた的に?藩主になった三男の忠利ですが、忠興のこれまでの悪行が今来たんじゃないかと思うくらいに波乱の熊本藩を受け継ぎ、案の定、父の忠興より先に逝去。忠興は忠利を溺愛していたらしいですが、溺愛の理由が「1番ガラシャに似てる!」からだったとか何とか(本当に悪い意味でブレてないなと。)
それでも忠利に殉死しょうとする家臣に「今死ぬな!どうせ死ぬなら俺の時に死ね!」とか言ってたらしいですが。(本当に引くわこの人)

※前、言っていた伊達のマー君の外国人側室ですが、朝鮮の役で臥龍梅と一緒にもって帰った現地女性だそうです。
仲の悪いと言われる直江の兼さんは戦争で避難した民家から勝手に漢文の書籍(後に地元博物館に保管となる)無断で持って帰って(兼さんは漢文マニア)戦うのが嫌だから現地で歌会してるし(バカンス?)、仲は悪いと言われていても実は似たもん同士なんじゃあと密かに思ってます。
2017年01月22日 00:16
細川さんのネタ話、色々ありがとうございます(笑)。
漠然とヤンデレっぽい印象しかなくて、あんまり詳しくなかったのですが、いや、周囲は大変だったでしょうね。

戦国の離縁事情は、つい偉そうな事いっておきながら、実はあんまり深く考えた事がなかったなあと自分で今更気付いてしまいましたが(なんだかすみませんでした)、調べてみると色々ありそうですね。
自分の了見の狭さに、今更ながら気づかされた思いであります。

伊達のマー君もアレですが、直江の兼続さんも、なかなかのエピの持ち主でもありますね。
変わった人が多くて、遠くから見てる分には興味深いですね。
ごん
2017年01月23日 21:27
 すいません、横からで申し訳ないです。

 霜女覚書を読むと、別にガラシャが名指しで人質と要求されているわけではないんですね。(細川家の誰でもよかった。)しかも行先は(前田の実娘豪姫が嫁の)宇喜多屋敷でよいといわれている。これは、千代を人質として想定しているんですね。そして、千代は実際に宇喜多屋敷に行っている(逃げたのではない。)。細川屋敷を取り囲んだ敵はいつの間にか引き上げている。千代が(人質として)宇喜多屋敷に行ったから、目的を達したんで引き上げたんです。

 つまり、別にガラシャは自害する必要はまったくなかった。千代が宇喜多家に行けばそれで良かった。そして、千代が宇喜多家に行ったので敵は引き上げた。なのになぜ死んだかというと、忠興が「(人質になるくらいなら)死ね」と命じたからです。この命令はもちろん、千代にも向けられていた。というより、むしろ主に千代の方に向けられていた。
 家康暗殺疑惑事件の時に、前田家の嫁をもらっているばっかりに、忠興も家康から関連を疑われ、謹慎している。忠興としては、この前田家の嫁に恨みを持っていて早く厄介払い(自害させるによ、離縁させるにせよ)させたかったんでしょうね。
 
 
YU-KI
2017年01月23日 23:11
杏奈さん、ちょっとスペースおかりします。すみません!

ごん様のコメントは私に対してでしょうか?それでしたら情報ありがとうございます。ただ、人様のブログ様ですので、これ以上のコメントは差し控えさせて頂ければ幸いです。

当方も拙いながらアメブロでブログをしております(“アメブロ”、“マチマチ”、“YU-KI”で検索して頂ければヒットすると思います)もし私宛に何かありましたら、そちらの方にご連絡頂けたら、色々お返事させて頂けると思いますので、よろしければご検討ください。

『オメー宛じゃねーよ!』って事でしたら捨て置いてください。(もしそうなら自意識過剰で申し訳ありません)

また、杏奈さん本当に本当に重ね重ね申し訳ありませんが、このコメントが貴ブログにふさわしからぬと判断された場合、遠慮なくザックザックと削除して頂けたら幸いです。
ごん
2017年01月24日 07:52
 すいません、YU-KIさん宛てというか、YU-KIさんのコメントにのっかってのコメントです。確かに杏奈様のブログで、YU-KIさんのコメントにのっかってコメントするのはよくなかったです。(もし、元のコメントが不適切でしたら、削除してください。すいません。)
2017年01月25日 20:35
ごんさん、YU-KIさん、こんばんは♪

誰かへの中傷や攻撃にならない限り、好きに使っていただいて全然構わないですよ。
あんまり難しくは考えてないので、緩めにやっております(笑)。

ガラシャの最期について、ありがとうございます。彼女も、ちょっと病んでいたのかもしれませんね。大関ヶ原展で見た三成の書状も、「なんだかガラシャ死んじゃったみたいです。なんでかな。」みたいなのがあった覚えがあり(ガラシャとか玉とか、名前で書かれてたわけではなく、当時らしく細川の室とか、そんな書き方だった気がします)それについて三成自身がどう思ったのかは書かれてないので分かりませんが。

三成は忠興から、鳥飼国俊という刀を500貫で購入してたり(今でいう3500万円くらいかな?徳川美術館で見ました)、そんなに言われるほど悪い仲でもなかったような感じはしますけどね。
ガラシャの最期の心情は、今となっては分かりかねますが、彼女も気の毒な人だと思います。
ヤンデレ夫婦って感じがしますが、色々疲れちゃったのかもしれませんね。
YU-KI
2017年01月26日 23:31
何か色々お気をつかわせて申し訳ないです。ご提示頂いた史料に個人的に思うところがありまして、ただ人様のスペースだしなぁとなって、ああ記載させて頂いた次第です。(もしかしたら自分のところのブログに書かせて頂くかもです。史料のこと。)

ガラシャはキリスト教に入信して幽閉を解かれ、細川家に帰ってきた後にオッキーと宗教上の違いから(細川家は檀家は禅宗)と「ガラシャは変わってしまった」とかいうオッキーのゴリ押し主観で色々あって「離婚したい!あんなのとはやってられません!(凄く分かります)」ってオルガンティーノ神父(ちなみにガラシャの骨を拾って忠興に届けた人です。)に何回も相談したみたいなんで色々思うことはあったのかなと思いますが(ただ相談先間違えてるとは思いますが)、あの辞世の句が本当にガラシャ作なら、病んではなかったんじゃないかなと。ただ、あくまでも俗説でしかありませんが、イエズス会が「布教の宣伝を大々的にするために、している成果を示すために誰か有力大名か奥方、著名人が殉教させたい。」と思っていたようで、そこに不穏な豊臣内紛による人質事件を聞き付け、キリシタンとして大名家に仕える信者に「仕える奥方がキリシタンの場合、本人が逃げようとしても殉教と見せかけて殺せ」という密命を出したと言われています。
YU-KI
2017年01月26日 23:47
そして、ガラシャの胸をついたと言われる小笠原はキリシタンでありました。元々あの当時からキリスト教は自殺は禁じられていましたし(キリストを売り渡したユダが自殺という結末を迎えてますし)本来なら、ガラシャは三成公が「何で?」(気持ち分かりますが「何でだろうね」とは書いちゃいけなかった気がします。色々冷たい冷たい言われるのは、こういう所なのかなと)となるように死ぬ必要はなかったわけです(キチ⚪イの旦那が「死ね」と言ってましたが、そしていざ死ぬと半狂乱になって目茶苦茶なことするし言うし、もうやだ、この人本当に)なのであくまでも俗説でしかありませんが、「ガラシャはイエズス会に謀殺されたのではないか。」とも言われます。ガラシャ殉教の宣伝として忠興にガラシャが死んだ細川屋敷後に教会を建てさせたイエズス会は大々的にガラシャ追悼ミサを行い、国外ではその報告を受けた本部が、その話をもとに「気丈な貴婦人」というオペラを作りヨーロッパ諸国で公演、この公演はヨーロッパに大センセーションを巻き起こし、あのマリー・アントワネットも、このオペラを観覧したようです。非常に良い宣伝となったガラシャの死。一体、彼女が死んだことで誰が一番得をしたのか……俗説にしても闇が深い話です(私はクリスチャンですが、イエズス会ならやりかねないとは思ってます。)

そして私はオッキーのことをそんなに嫌いではありません。
2017年01月27日 23:02
すみません、なんでだろうね、とは書いてないのですが、なんだか書状から、そう言いたげな印象を受けたので、手が滑ってそう書いてしまいました。
誤解を招くような書き方してしまって申し訳ないです。
霜女覚書は、若干記憶違いかな?と思われる記述もないではないようですが、あまり詳しくなくて。
また機会があれば調べてみたいですが、やはり死ぬ必要はなかったですよね。

辞世の句は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」、たしかにしっかりしている感じですね。
病んでいるは言い過ぎでしたね。
幸か不幸かは本人にしか分かりませんが。
夫婦揃ってヤンデレな印象も受けてしまいますし。

キリシタンは、かなり良く大きく宣伝されますからね。
ガラシャのオペラは、マリア・テレジアが観劇したというのは聞いたことがあります。
彼女の存在感がここまで大きいのは、正直ちょっと疑問だったのですが(実際関ヶ原において、そこまで言われるほど影響してないと思う)、イエズス会の思惑が絡んでいると思うと、納得というか。
いや、もちろん俗説だとしても、ですが、なかなか面白い見解です。
YU-KI
2017年01月28日 15:11
そうなんですね。
気持ちは分かりますが一応関係者ですからね。関係者が「何でかなぁ?」出来ない書き方は不味かったんじゃないかなぁと(例え匂わせるレベルでも。※何かあった時に揚げ足とられかねないから、関連した事案に対する発言は公私に渡りするなと私が教育受けているせいもありますが)

でもそれだけガラシャの自害は不自然だったと示す証拠なのかもしれません。(そういう意味では有難い)

今度、遠藤周作先生原作の「沈黙」を元に映画化された何故か日本人もイタリア人も英語喋ってる「サイレンス」観に行きますが(1番感動する原作ラストが変に改変されて後は忠実というのが気になりまして)つくづく本当に何で人はキリスト教なんて信じるんだろうなとクリスチャンの私自身思うのでノンクリスチャンは余計にその思いが強まるかもしれません。ただ、その葛藤や矛盾を全て書ききり最後キレイに締めた遠藤先生の手腕は流石だなと(本人めっちゃお茶目な方だったようですが)

本当にあの当事のキリスト教はただ信者を増やせば良い、そのためなら人の命などどうでも良い節がありましたから、アイツらならやりかねないなぁ(ガラシャ殉教の知らせを聞いて祝杯あげてそうな感じしますもん。まあキリスト教にとって死は神の国に行け、永久の命を戴けるという目出度いこととしているので)

ガラシャの死は日本では影響があったにしても、他家の奥方達が逃げる隙が出来たとかそんなもんですよね。後は細川が激怒したくらいで。

キリスト教サイドではエライ宣伝してましたが、やつらの情報伝達速度はロンドンで人が蹴られたら、次の瞬間にはワシントンまで伝わっていると言われる程ですし。(今も昔も)
YU-KI
2017年01月28日 15:27
霜女覚書に関しては、私が懐疑的になるのは「人質作戦も関ヶ原も主犯が三成(徳川政権後の幕府の公式見解が当時からそうだったと言われていたら→それはないだろう)」「肥後細川の命令で提出を求められた(都合悪い記載は削除されるだろうな&何で今更?)」「ガラシャの死後48年後に書かれた(人間、1週間前に食べた食べ物すら正確に思いただせるか怪しい、いても少数派)」ものだからなんです。これがガラシャの死の1週間後とか1月内に書かれたものなら正確ではあると思いますが……約半世紀ですからね。ただ比較検討資料がないから「注意は必要だがほぼ史実」として扱われているようです。

あとは「肥後細川」主導で書かせたものなので、何故半世紀も経ってから藩主命令(オッキーとガラシャの孫)で、そんなものを書かせたのか?(これが逆にガラシャの没後⚪年だからと侍女側が当時から自主的にマメに記した私的日記を献上なら分かりますが)

案の定、当時の記憶よりも関ヶ原後の幕府の公式見解を元に書かれている記載もありますし、彼女がガラシャ自害当時に15才だとしても63才。63才でスルスル48年前の記憶が蘇るのは無くはないが怪しいなと。

彼女が嘘を書いたとか史料が価値がないというつもりはありませんが「半世紀」経ってから「何故」書かせたか?が個人的に気になる所なんですよね。

ただ、それだけ長く肥後細川に仕えていたら細川の都合の悪いことは無意識に省くんじゃないかなとも思います。これが彼女が死ぬまで毎日付けていた日記なら正確な話だとは思うのですが。
YU-KI
2017年01月28日 15:44
これも比較対象がないから分からないんですがガラシャの辞世の句が他の戦国武将の奥方の辞世の句に比べて「男らしい」「猛々しい」印象が強いんですよね。何か男の人が詠んだみたいな感じがして……ガラシャが普段から詠んだ句があれば比較して普段から「猛々しい」「男らしい」句を詠む人と分かるのですが……。それに個人的に死ぬ前の人が、死を覚悟した人が詠むような内容ではないなぁと辞世の句らしくないというか。あとは彼女の周りには、教養人で連歌の会では常連の父の光秀や、親王すら弟子にした天下の才人で歌人の舅の幽齋に、普段キチ⚪イでも風雅の道は評価されてる夫など、かなりの才人に囲まれて薫陶を受けている人にしては……浅い気がするなぁと(光秀謀反までは親同士交流があり、ガラシャも幽齋とはそれなりに仲が良くく、幽齋が禅宗だからという理由でガラシャも結婚後は禅宗に改宗してますし、子供の頃から知ってるので色々聞きやすい指導しやすいだろうにと)

ガラシャの句が研究されて、この辞世の句がガラシャ作ではないと判明した日が来たなら、ガラシャの死の真相も再検討される日が来るのかもしれませんね。
2017年01月29日 11:47
書状については、混乱させてしまって申し訳ないです。
どういうものだったかな、と、「大関ヶ原展」図録を開いてみましたが、現代語訳が載ってない・・・
会場では展示品と一緒に提示されていたのですが。

自分は京都会場で、平日だったせいかあまり混んでなかったのですが、東京会場ではかなり混んでいたようで、説明書きをちゃんと読む余裕はなかなかないと思われ、図録にはちゃんと載せていて欲しいなと思いました。

釈文と簡単な説明しかない図録によると、現在長野の真田宝物館にある、真田昌幸宛の書状で、ああしてほしい、こうしてほしいと書いてあるのですが、信之が徳川についたことはまだ知らなかった模様。
福島正則を帰属させたいとも。
家康も正則に警戒していたようなので、正則がどちらに転ぶかは分からない状況だったようです。

そんな長めの内容の中、ガラシャについては後ろの方に、人質にということだったのに、一体何を聞き間違えたのか、屋敷が炎上して(ガラシャは)亡くなってしまいました、というような記載があり、それについてどう思ったのかは分かりませんが、想定外の出来事だったようです。
記憶が曖昧な上に、釈文しか載ってないものだから手落ちがあったら申し訳ないです。

書状の写真も載っていますが、古文でも釈文でも、読む能力が自分にあったらよかったのですが。

おそらくこれより前の昌幸宛の書状では、ご内義は大谷吉継が保護しているのでご安心ください、というのもあり、この出来事で動揺しないように、という思いもあったかもしれません。
2017年01月29日 12:23
遠藤周一先生は、作品と、周囲が語る遠藤先生のギャップが面白すぎと思いました。
どの宗教にも黒歴史はありますが(キリスト教でいえば、やはりぱっと思いつくのは、十字軍と魔女狩りでしょうかね)、使い方次第で、毒にも薬にもなりますね。
心の平穏に役立てるのは良いと思います。
キリスト教は特に、あの雰囲気に魅かれるのかなと思います。

霜女覚書について、ありがとうございます。
資料は、使い方が難しいですね。
ガラシャの句も、たしかに・・・
その最期は、短絡的に美化して伝えられることが多い気がしますが、もう少ししっかり検討されるべきかもしれませんね。
YU-KI
2017年01月29日 17:06
いいえ、まだちょっと俗説三成公像に囚われているので私も偏見があるのやもです。
彼は天下の接待部長ですから、失言は早々にするわけがないですよね良く考えたら……本当にこちらこそ嫌味な書き方をしてしまってすみません。
ただ、ガラシャの扱いがそれだけなら、本当に本当に関ヶ原や日本的にはあまり影響がなかったんでしょうね。

現代語訳!確かにあると有り難いですよね。わかります!いつ行っても開店ガラガラ~ワァオ!な越前朝倉氏資料館とか石川歴博とか隣の本多記念館とかじっくり観れないと辛いですよね。

私も未だに全然読めませんから。なので今年も古文解読講座にいきます!

大関ヶ原展は人多そうですよね。気を使いますよね。いつまでも立ち止まってられないし。

親戚なのに徳川ついたとか知らないとか……やっぱり昔はシビアだったんですね。(知らせる必要もないか)

むしろ、人質に取られた方が安全だったかもしれませんね。奥方的には結果から見れば。

今度、京都に行った時に六条河原に行って『ガラシャが亡くなったのは、現段階ではキチ⚪イの旦那のせいで、私はイエズス会の組織ぐるみの陰謀だと思います。多分、貴方達のせいではないですのでご安心を』と三成公に報告しときます。(とっくに成仏してるかもですが)

どっちも豊臣のために大義名分掲げてますから、どっちについて良いのか分からないですよね。もう親戚か仲いい方についとくか、将来性選んでついとくかですよね。

こちらこそ色々教えて頂きありがとうございます。こうやって情報頂かないと凝り固まったり、視野が狭くなるので本当に助かります。また色々教えてくださいませ。
YU-KI
2017年01月29日 17:28
遠藤先生は本当に作品と御本人がギャップ有りすぎます(笑)身長180cmあったとか意外ですし、さくらももこに自宅の電話番号と言って渡したら水道局の番号だったり、対談中は冗談ばかりで、きっと気難しい人だろうと想像していたさくらももこは拍子抜けしたそうです。漫画で言うところのギャグ漫画家は性格が神経質。ホラーやシリアス漫画家は基本的に根明で冗談好きな適当人間に分類されるみたいな(例外はあるでしょうが)

カソリックは色々ありましたからね。
まずは西暦500年頃に行われた聖書編纂が不味かったかなと。(聖書の中身を外伝、正典と分けたんです。なので聖書の中でも矛盾が生じてます。歯抜けになってますから)

あとは偶像礼拝するなというのに偶像色々作りまくり、その弊害が踏み絵の悲劇を産み出します(そもそも偶像礼拝すんなって言われてるんだから別に踏んでも神様的にはノープロなんですが本当に。むしろ踏み絵を躊躇するのがおかしい話です。踏み絵が原因で亡くなった方々には大変気の毒ですが。だから私は出されたら踏みます。)

あと付け加えさせて頂けるなら日本への布教の仕方でしょうか黒歴史。
日本人に説明する時に日本の神様と仏様に例えて布教のしたので大分ヘンテコに伝わってます(これは『沈黙』読んでいただいた方が良く分かるかと)

本当に神と自分の対話ですから、やっぱり数集まるとロクな事にならないようです。史料と一緒で、聖書を元に各々が各々の解釈で信じているわけですから『大事なのは神を信じていることで、あとは各々個性があるんだから皆違って皆良い』で良いじゃんかよとなります(^^)
YU-KI
2017年01月29日 17:28
個人的には懐疑的な史料でありますが、霜女覚書は比較対象検証史料が他になく、半世紀たっているとはいえ、ほぼ無批判で第1級史料として内容はほぼ史実であると扱われているのは事実ですから。理屈は分かりますが個人的には複雑で本当に何で半世紀経って今更?と肥後細川に伺いたい次第です。

最期は美化されますからね。ただ検証できることはしたいですよね。いつもお相手ありがとうございます。感謝してます。
YU-KI
2017年01月29日 17:38
杏奈さん、スペースお借りします。すみません!

>ごん様へ

こちらこそ不快な思いをさせてしまったならすみません。ただ話しかけるなとか入ってくるなというわけではなく、御提示頂いた史料が上記理由から個人的に懐疑的な史料と思っておりまして(決して価値がないとか、嘘を書いているというわけではなく)、ただ他所様のブログなので、どうお伝えすれば良いのやらと思い悩んだ結果から、ああ書かせて頂いた次第です。(結局、結構色々書かせて頂く結果にはなりましので尚申し訳なかったなと)誤解を招く表現であったと思いますので、本当に申し訳ありませんでした。(読み返して、これはキツイなと我ながら冷や汗をかいてしまいました汗。善意で書き込まれていらっしゃるのに、嫌な思いをさせてしまったのではないかとら、それだけが心配です。)
ただ、凄く史料にお詳しいのでいつも勉強になって助かります。この場を借りてお礼を言わせてください。いつもありがとうございます。これからもコメントでお名前を、拝見することになると思いますので、その時はよろしくお願いいたします。

最後に杏奈さん、貴重なスペースありがとうございました。
2017年01月31日 20:52
こちらこそ、いつも色々教えていただいて有難く思っておりますよ。
お気持ちは十分伝わっていることと思います。
私も勘違いや間違い、多数あるかと思いますが、よろしくお願いします。

「大関ヶ原展」は、あちこちから貴重なものが集まってきていて(東軍多めでしたが)、鎧兜や刀剣に注目が集まりがちですが、やはり書状の数々が興味深かったですね。
現代語訳は図録に載せておいて欲しかったです。
すごく重かったのに。

真田と三成の間の情報伝達ですが、三成さんも昌幸に「挙兵するなら、なんでもっと早く知らせてくれなかった」と怒られていて(その昌幸からの書状は残っていないのですが、その返信と思われる三成の書状「知らせなくてすみませんでした。お怒りごもっともですが・・・」というのは真田側に残っていて、信之兄さんは、ほんとに三成の書状を、いくつもよく残してくれている。しかも大切に)、今のように電話もメールもない中、そしていつどこでどう情報が洩れるかも分からない中、意思疎通は難しかったと思います。

例のガラシャの死についても数行含まれている書状には、信之も味方だという前提で三成は指示を出していますし、信之が敵側か味方側かは作戦上大問題なのですが。
信之は妻が本多忠勝の娘なので、徳川につくことは予想していたのではないかと思いましたが、家康も「え、信之はこっちについたの?意外だなあ」的な事言ってるので、真田はみんな西軍だろうと思われていたのかもしれません。
2017年01月31日 21:08
石田家は一族みんな西軍でしたが、結束が固かったというのもあるでしょうが、中心人物がいるので、まとまりやすかったというのもあると思います。
他の、特に遠方の大名など、何が何だか分からず、とりあえず東西分かれよう、もしくは気づいたら分かれることになってしまった、という場合もあったかもしれません。
真田家すら、三成から挙兵の情報を受け取るのが遅かったくらいですから。

さくらももこのエッセイで、遠藤先生の所読んだ記憶あります。
カトリック系の高校だったせいか、学校の図書館に遠藤周一コーナーがあったような記憶がありますが、作品はあんなに真面目なのに。

踏み絵といえば「聖おにいさん」という、イエスとブッダが下界にバカンスに来るというギャグマンガで、何巻かは忘れたのですが、イエスが「踏み絵を出されたら迷わず踏んでください。私そんな事で怒らないから」と、そんなんで死なれる方が悲しいみたいな感じだった場面が、けっこう好きでした。

あと、死後天界に来た天草四郎に「私は踏んでません」と差し出された踏み絵を、イエスは玄関マットか何かと感違いし、自らぐりぐり踏んでいて四郎涙目な場面とか。

面白そうだけどすいてる資料館とか、面白そうですね。朝倉は、ちょっと興味深いです。
2017年01月31日 21:32
三成公はイメージが固まってしまっているところもあるので、脱却はなかなか難しいですね。

一次資料を追うと、別にツンデレでもコミュ障でも冷徹でもなく、普通の真面目な人な感じがします。
せっかちで、やや強引な所はあったかもしれませんが。
清正や正則等を見下していたという証拠もなく(そもそも大して接点なかったと思います)、嫌われていたという事も、別にそんな事もない、というか、当時の資料で石田三成という人物はこういう性格だと言っている人がいるわけでもないんですね。

なので、実際の所はどうか分からないのですが、ただ一次資料を見る限りでは、嫌な奴には見えないんですね。
佞臣でもなければ、忠義の人、義の人というのもちょっと違うような。
書籍も色々ありますが、入門編としては、やっぱり以前ちょっと触れた、別冊宝島「悲劇の智将 石田三成」かな。
玉瑕ありますが、色々な人の論が読めますし、読みやすくて安価ですし。
文庫版の方は、省略されてしまった所が多いので、やはり雑誌版(?)ですね。
三成公に興味を持って下さる方が増えたら、嬉しいなと思います。
では♪

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