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zoom RSS 直虎って誰?

<<   作成日時 : 2017/03/04 19:52   >>

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武将ジャパンに、本郷和人氏が井伊直虎男性説を追うの連載しているのだが、(現在斜め上に飛躍気味だが)まとめと、ちょっと考えたことなどを。

井伊直盛に、尼の祐円という娘がいた事は確か。
天正10年(1582年)に亡くなっている。本能寺の変の年ですね。
生年不詳。
一次資料は位牌だけ。
その人が次郎法師だと「井伊家伝記」は言ってるのだが、果たして?

直盛の年齢を、大河ドラマでは歪めているという事は以前触れましたが、実際は直盛と直親は10歳しか違わないことを考えると、直盛の子と直親が幼馴染という事は考えにくい。許嫁という事も、直親こと亀ノ丞が井伊谷脱出に伴って、直盛の娘が龍潭寺で出家して次郎法師になったという事も。
どうも「井伊家伝記」は信用できない。

この祐円さんは、誰かと結婚したとかいう記録はないようなので、直虎でなければそれはどうしてか、自分の想像では、誰かと結婚したがすぐに亡くなり、記録にも残らなかったか、武田信玄の次男が幼い頃病気で失明して僧になったように、何かしらそういうような事情があったかしたのかもしれません。

次郎法師黒印状と呼ばれるものが、永禄8年(1565年)付けであるのだが、桶狭間での直盛の死が1560年。直親の死が1563年。
直親が亡くなって2年たっても、尼のまま領主の仕事をしているということになってしまうし、こうした世俗の領主の仕事は、俗人の仕事である。

そもそも、次郎法師なんて禅宗の法名として変だ、という指摘もある。

よって、この文書の次郎法師というのは法名ではなく、誰かの幼名ではないか、花押が書いてないのも、そういう理由ではないかと考えられる。

次郎法師って直政のことではないか、という意見もチラホラ見かけます。
この時直政はまだ4歳くらいだから、もちろん後見人が書いたか祐筆に書かせたかしたものでしょうけど。
大河ドラマでは、幼い直政の後見人の座をめぐって、直虎となったおとわと政次が争う展開になるのではないかと思いますが。

そして永禄11年(1568年)例の徳政令(借金チャラ令)の次郎直虎の花押。
この直虎は誰かという事に関しては、話題となった新説では「雑秘説写記」という書物の中に
「新野左馬助の兄である関口氏経の息子に、井之次郎と名乗らせて井伊谷へ派遣した」という記載が見つかり、この井之次郎が、この花押の次郎直虎ではないか、というものである。

直虎は男性だったということばかり言われていますが、新野左馬助と関口氏経が兄弟だったことの方が驚きで、つまりは、おとわ(便宜上そう呼んでおく)の母の兄弟でもあるという事ですよね。
関口氏経と連署になっていることを考えると、次郎直虎が関口氏経の息子であることもおかしくはない。

次郎法師という尼僧も存在しなければ、女城主井伊直虎も存在しなかった可能性もある。

花押は、唯一祐筆ではなく本人が書くもので(差出人の名前までは、祐筆が書いてもいい)、身分の高い男性しか用いることが出来ない、という事もある。

本郷和人氏は、祐円=次郎法師=直虎説には懐疑的だが、次郎法師=直虎ではあるだろうとしている。
その次郎法師=直虎は誰かという点では、直盛の20代後半に出来た息子だろうとしている。
井伊直盛に息子がいたら、なんの記録もないなんて事あるわけない気がするので、そこはちょっとどうだろうと思うのだが、連載の続きは楽しみではある。

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