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zoom RSS 「真田丸」終了その2(「真田丸」がお好きな方は要注意)

<<   作成日時 : 2017/01/03 13:08   >>

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もうかなり今更ですし、例によって大したことない上に繰り返しも多くなりそうですが、とりあえずあと一回だけ(多分)。

狭い空間で繰り広げられる人間模様とか、シチュエーションコメディというのでしょうか、そういうのが三谷氏は得意なのではないかと思うので、大河ドラマにはそもそも向かないのではないでしょうか。
それも、戦国末期ものには。

とく合戦シーンがしょぼかったというのはあちこちで聞きますが、それ以上に、大坂編のスカスカ具合が気になった。個人的には。
人も少ないし、脚本もペラいし、町の様子とかほとんどなかったような気がする。
あまりにこじんまり。
最初の大坂城のCGからは、期待持たせるものがあったんだけどな。

三谷氏が好きな大河作品だと言ってたので度々名前出しますが、「黄金の日日 」も主要な合戦とかほぼスルーで、全編ファンタジーで、突っ込みどころだらけでかなり無茶苦茶。
なんかたまにテレポートとかしてるし。
でも面白いのだよな。ちゃんと大河ドラマを感じる。この違いは何だろう。

あれほど面白くできないなら、誠実に作ってくれと思うのですけど、考証の新説の入れ方とかがどうもね。
創作は創作でいいので、そう言えばいいのに、信用のおけるかどうか分からない史料を、さも事実のように言ってるのもどうかと思った。
その辺り、ただのつまらない創作作品とはまた違ったタチの悪さを感じた。

信繁は、すぐに馬廻り衆になったわけでもなければ、秀次は勝手に自殺したわけでもないと思うぞ。特に後者については謎が多く、今後も考察が必要でしょう。
秀吉は秀次に切腹を命じてないというのは、あくまで説の一つにすぎないし、ドラマとしてそれを採用するのはいいのですが、これが新説なので、正しいのだと思ってしまってる人がいたら、それはどうかと思う。

あとなんか、黒田官兵衛は本作には存在しないのかと思ったら、突然きりに、なんとか官兵衛呼ばわりされたり(黒田っで、そんな覚えにくいかよ。ギャグとしてもつまらないよ。主役の時は、同じ失敗を繰り返すぼんくらにされ、今回は、存在を抹消されたかと思ったら、きりごときになんとか呼ばわり。災難続きだな)、徳川が主要人物にも関わらず、井伊を全く出さなかったくせに、最後の辺で突然、井伊隊に、来年大河の予告みたいな不自然なセリフを言ったりして、そういう、本編壊滅的なのに小細工で笑いを取ろうみたいなところも癇に障った。

最後に、あまり関係ないですが、名前について。
幸村ではなく、信繁を採用は、自分的には評価していたのですが、結局途中創作入れて、幸村になってしまった。

よく、真田三代と言われるのは、幸隆(幸綱が正しいらしいが)、昌幸、そしてその長男が信幸なので、真田といえば幸の字。だから幸村も信憑性があるんじゃないかと言うひともいるけど、昌幸は、長男でなくて三男。
兄二人は、幸ついてない。(信綱、昌輝)
弟は信伊。
おそらく真田にとって、幸よりも、武田からの信の方が重要なんじゃないかと思う。
特に信繁という名前は、名高い武将だった、信玄の上の弟からきている(と言われている)。
本人にとっても、信繁は大事な名前なのだろうと思われる。

たまに、幸村なんて名前の奴はいないというと、そっちの方が響きが綺麗だからかムキになる人もいるのだが、大事な名前を勝手に変えられて、知らない名前で、ついでに知らない活躍までされたことにされて、本人は嬉しいだろうか。
いや、本人じゃないから知らないけど。

真田左衛門佐幸村、真田左衛門佐信繁、後者の方がしっかりした響きで、私は好きですけどね。

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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
怒涛の更新お疲れ様です。
この間もお相手ありがとうございました。
楽しかったし、自分では気付けない点や知識を仕入れることができました。
ただ、お話して気付いたのはやっぱりそれぞれの立場だと捉え方も違うのかなということでした。
私は今は割りと加賀前田寄り(利長、利常)なのもあり、史実ベースに自分なりの加賀前田のドラマが展開しているから、加賀征伐に三成公が参加したとなったら、加賀前田から見たら、役目上仕方ないにしても、こちらのミスもあるにしても、先代利家とか散々使い倒しといてそれかい!みたいになるのかなぁと。私が加賀前田なら『石田…もうお前は助けねえ』ってなるのかなぁと。少なくとも一瞬それ聞いて私自身、殺意が芽生えたのも事実なので※宗二の生首見せられて青竹素手で握りつぶした宗匠状態(でもだから三成公をディスろうとか粗探ししようとか思いませんよ。本当に一瞬の素直な感情なんで。一瞬殺意が芽生えたけど嫌いではないですし。家康さんはいつも悪者に回るから可哀想だなと思ちゃって殺意がわきません。あの狸さん大概なことしてるのに。でも、あの人の人生とその後見ると……一番地獄だったのは実は家康さんじゃと思うので)

丸と日々の差はやる気と創作としてのクオリティの差かなと。
仰るように史実でなくても創作として面白かったり、納得がいけば視聴者的にはオッケーなんですよね。
それをどう考えても面白くないエピソード挿入して、それが作った本人が薄々ウケないの分かってて、外した時用に『史実では〜』『新説では〜』って見苦しい逃げに走ったのかなと


YU-KI
2017/01/04 09:09
歴史知ってる人なら『真田信繁』単体で大河やるのは厳しいのはわかってたし、それを意地張ってやった結果が見事な不発だったなという印象でした。

せめて武田滅亡からキッチリやっておけば良かったものを。

秀次自殺に関しては、よくある誰も悪者にしたくない歴史好きなら1度は考える展開をまさかプロがやると思わなくてビックリしました。(それ私が小学生時代にした妄想なんだが、しかも低学年の頃)


きりちゃんは基本バカなのと信繁以外に関心がないから仕方ないかなと。
ただ、板部岡出して、カンベー何故にスルーしたみたいなことは聞いたので、それが謎でした。

主人公大河でウッカリ軍師で、更に同じ大河枠でディスられ、カンベーも大変だなぁ(そして、多分今年の関ヶ原合戦祭でディスられる予定)

本当に笑えない小細工づくしは仰る通りです。面白かったら誰も文句は言わない。

名前は、武田の主君筋から結構頂いてますからね真田。
幸村は江戸時代の講談に登場した歴史上の人物をモデルにした架空キャラなんですよね。現代人には信繁より響きが良くカッコいいから支持してるだけにみえます個人的に(あとバサラ効果)

ただ、今は本当に子供にペットの名前つける感覚で名前や漢字の意味考えないで当てちゃう位に名前の本来持つ意味や重要性は軽視されてるので、昔の名前がダサくみえるからかなとも思たり(幸村支持は)

名前なんて、本来は真名(本名)なんて早々に明かすものではなかったし(明かすと呪詛や支配服従の意味があるので)、平安時代までは女性は下手したら両親と旦那にしか真名を知られてない、明かしませんからね。平安時代以降も同じで、真名呼ぶのは無礼とされて皆ほぼ役職呼び、女性は『大納言の一の姫』とかそんな感じでした。

YU-KI
2017/01/04 09:32
信繁たちの生きた時代も真名呼ぶのは極親しい身内(両親と兄弟姉妹)か主君か敵くらいなもんで、でも皆、滅多に真名は呼ばなかったようです。なので、女性は出家後の称号や戒名は分かってても名前が分からない人がほとんどで、伝わらないのは、その風習のためのようです。

名前って本当に凄い大事なんできちんと分かっている人は尊重してあげてほしいですよね。今と違って考えに考え抜いて、きちんと漢字が示す通りの意味でつけられてるわけですから。

ちなみに秀吉はたまに伊達政宗の『政宗』をわざと『正宗』表記していたそうで、田舎者と馬鹿にしていた節があったようです。
YU-KI
2017/01/04 09:41
YU-KIさん、いつもコメントありがとうございます♪

三成が佐和山へ引退させられた後の一時、家康に従う姿勢を見せていた、加賀征伐の時もそうだった、というのは、中井俊一郎著「石田三成からの手紙」第九章に詳しいですが、自分もそれ聞いたときは「えー、おいおい」と思いましたよ。
前田側の家康暗殺計画は、まず濡れ衣であり、言いがかりでしたからね。
結局利長は自分の器量を見極め、母親を人質として差し出すことで落ち着きましたが。

このときの三成の態度については、家康を油断させるための擬態である、いや、それはその後の結果を知ってる者の見方だろう、とか色々言われていますが、「関ヶ原」で描かれてるみたいに、最初から三成は家康が嫌いで、敵意むき出し、というわけでもなかったようです。
この二人、割と似てる所あるので。

秀吉死後の情勢については、ドラマなどでは単純化されてますが、実際はかなり複雑だったようです。

自分としては三成贔屓とはいっても、完璧にいい奴だったと思ってるわけではない(そんな戦国武将いない)ので、その辺り気になさらなくても、大丈夫ですよ。
ちなみに、自分が三河の人間であるということも多少ありますが、家康嫌いというわけでもないです。

基本戦国武将に対しては、あの過酷な時代をそれぞれ懸命に生き抜いた、全員ろくでなしで、全員に敬意を持っています。

日々はたしかに、本気は感じますからね。
丸は・・・、いや、もちろん実際には手を抜いてるわけではないとは思いますが、肝心なのは、そう見えてしまうという所なんですよね。
杏奈
2017/01/04 12:53
書き忘れましたが、丸の創作での、秀吉の遺言騒動。安いサスペンスドラマの遺産相続争いじゃないんだから。「眠い・・・」「眠くない!」と死にかけ老人に無理やり書かせるところとか、一部でウケてましたが、セキュリティ的にあり得ないし、愉快なものでもなかった。

史実では、新説では、が、逃げに見えてしまったのも、その通りだと思います。
秀次事件は、矢部健太郎「関白秀次の切腹」という新説を、中途半端に取り入れた結果だと思います。その著作に関しては史料を駆使したりして、それなりに説得力があるのですが、また新説を取り入れて自分なりのドラマにしようとするのは良いとは思いますが、成功してたかというと、どうか。
またこの件だけではないですが、新説=絶対正しいという認識ができてしまったら、それもどうかと思いますね。
上田城は家康が作ってやった、信繁が第一次上田合戦に参加していた、いずれも考証の余地のあることのようで、ドラマでそういう事にするのはいのですが、新説です。だから正しいです、と思わせてしまうのはどうか。

小細工関係でいえば、内野さん家康が序盤「武田が滅びたが、まったく嬉しくない」(うろ覚え)と言ったのは、明らかに「風林火山」で山本勘助だった過去があることからのギャグなのでしょうが、序盤だからまだ何とも思わなかったのですが、本編がダメだと、最早そういうのはイラっとしかこない。
杏奈
2017/01/04 13:38
名前は、イナミ(漢字が出てこない・・)でしたっけ、家臣が信長様とか秀吉様とか呼んだら、普通に斬られるくらい大事で意味深いものですからね。

女性の名前はほとんど分かってない、絵もあまり残ってないので、どんなもの着てたかは正確には分かりにくいようですね。
「センゴク権兵衛」1巻でも、仙石の娘が自分の名前言ってしまって家臣に注意されたという場面があったような気がします。
この辺りは、乱取り横行の時代でしたから、守る意味もあったのかな、と勝手に思っています。
平安も厳しかったんですね。
書状でも女性は、誰かれの娘、とかいう書かれ方ですし、三成の書状で、奥さんの事うた(宇多)って書いてあったのがあると、どこかで見かけたような気がします。どこだったか忘れてしまいましたが。
自分の妻を名字で呼んでたの?と思いましたが、「武田信玄」の三条の方もそうですね。

分かってる真名は、大事にしてあげて欲しいですよね。響きのかっこよさとかに惑わされずに。
政宗は「鄙にはまれな・・」と言われていたようですが、要するに田舎者ってことですからね。
伊達家は教養深い家柄ではありましたけど。
では♪
杏奈
2017/01/04 13:39
 加賀征伐に石田三成が出陣していたか、というと正直違うと思うのですね。(書いてあるのは、看羊録と島津家文書でしたっけ?しかし、石田三成本人が兵を率いていたのかははっきりしてないかと思います。)

 だって、三成はこの時期、無期限謹慎中ですよ。軍勢率いて出陣できる(これって謹慎中ならまずできないことです。)ということは、謹慎解かれたってことですけど、そのような記録はない。ということは、三成が加賀征伐に限らず何かに出陣できたということが有り得ないことなんです。

 石田家と石田三成は同一ではありません。七将襲撃事件の敗北で三成は謹慎・隠居ですが、石田家自体は改易されたわけではなく、石田家の嫡男の重家が石田家当主に移行しただけです。といっても、重家は当時10代前半なので執務は取れない。祖父(三成の父)の正継が後見として石田家の執務を行っていたのでしょう。

 そこへ、豊臣公議(の筆頭家老の徳川家康)から、加賀討伐の命令。断れる訳ないでしょう。三成は失脚し豊臣公議の奉行から外れて、この時期の石田家は豊臣家のいち家臣にすぎないのです。豊臣公議の命令に従うしかない。
 この公議の命令に逆らったら、今度こそ豊臣家の逆臣扱いとされて、待ってましたとばかり、家康に石田家は滅ぼされたでしょう。

 なので、(筆頭家老家康が意のままに操る)豊臣公議の命令に、この時点の石田家は逆らいようがないんですよ。

 この石田軍の兵を率いていたのは、まだ10代前半の重家って感じがあまりしませんね。かといって、老いた正継というのもちょっと想像しづらい。石田家でこういうことで、頼れる重臣といえば、やはり島左近あたりが(島左近の内心的には複雑だったでしょうが)代わりに兵を率いていたんじゃないかと想像してしまいます。
ごん
2017/01/05 00:52
 上で書いていて思ったんですが、三成は加賀征伐の時は立ち上がらず、上杉征伐の時は立ち上がった(どちらも公議への反逆とされるおそれがあるにも関わらず)なぜだ?というのが疑問になるかもしれませんが、結局三奉行(前田・増田・長束)の動向に左右されたんじゃないのか?という気がします。

 加賀征伐の際は、そもそも前田利長の暗殺計画を報告したのは増田・長束でした。つまりは前田玄以はよく分かりませんが、少なくとも三奉行のうち二奉行は確実に加賀征伐賛成派ですので、この時点で三成が蛮行で勝手連的に前田利長について、反家康クーデターを起こそうとするのは極めて困難でしょう。(起こす前に親族から力ずくで止められそう。)

 これに対して、上杉征伐は毛利、宇喜多、前田、増田、長束、つまりは家康以外のこの時点で残った全大老・奉行が上杉征伐に異を唱えて立ち上がったのですね。

 これが、三成の説得のよるものか、というと残念ながら違うと思います。というのは、三成はずっと佐和山で謹慎中で、徳川の監視の目(家康から派遣された家臣という名のスパイが公然と近侍していました)も常に光っていたので、何か事前工作しようがありません。

 このため、家康を除く残る大老・奉行が「あいつ(家康)はヤバい」と危機感を持って結束し、その後に三成を説得した、という順番なのでしょう。三成も残る大老・奉行衆が結束しているなら、ということで計画に乗ったという感じなんでしょうね。
ごん
2017/01/05 01:56
こちらこそ、いつもお相手ありがとうございます。
実は加賀前田寄りになったのは、つい最近だったりします。去年から古文解読口座に参加させて頂いたのもあり(読めたら博物館とかの展示資料読むのに役に立つし、司馬翁や三谷with考証ズみたいなのに惑わされずに事実知れるなぁと思って)、資料が加賀前田の利長と利常時代のものが多くて、自然と興味が湧いて調べたら、異母弟の利常は笑えるエピ満載なのに、利長のエピはまとめると『功績がそれなりにあるわりには知名度と存在感がインビジブルな色んな意味で悲劇の加賀前田2代目藩主』で、それが、本当に可哀想で(可哀想だと思うのも失礼ですが)、きちんとやることやってるのに、知名度は父と異母弟夫婦に奪われ、生涯正室しかいなかったのに『時代の流れ無視で一夫一婦素敵⭐』な歴女にも無視られ、更に生涯に渡り徳川にイビられ、子宝に恵まれず(唯一の実子の姫は夭逝)、父が片付けなかった生母vs弟の母問題に板挟みになり、同母弟は勝手に関ヶ原で西軍につき(後始末は利長がした)、外様筆頭の大藩の藩主なのに散々遠慮させられた上に、異母弟に系統を奪われ、最後は服毒自殺に追い込まれた説まであるという箇条書きしただけでもかなり悲惨な人だなぁと(加賀歴代藩主の中でも※加賀騒動関係者はまた別枠)良かったのは、加賀前田潰さなかったとこと、正室の永姫(織田信長4女)と生涯にわたり仲よかったくらいかなと。(死因梅毒説もありますが、個人的には、子宝にこれだけ恵まれなかったから多分、こちらの説が有力かなと。両親や他の兄弟姉妹は割りと子宝に恵まれてますから※梅毒は不妊の原因にもなります。例、イギリスのヘンリー8世)
YU-KI
2017/01/05 04:23
ある意味、自分の系統でなくなるのに、命とプライドをこれでもかという位に粉々に踏みにじられてまで、体張って、自分殺して加賀守ったのに県民にもあまり知られてない、晩年は隣の富山県高岡で過ごして死去したから仕方ないかなと、でも高岡市民もあまり知らないと、そろそろ利長公をピックアップしても良い時期にきてるのではないかと個人的には思います。(世の中のサラリーマンに凄い共感えそうな。パワハラ被害者とか)

そうなんですよね。皆納得がいかないなりに色々犠牲にしながら守ってたんですよね。まさに愛すべきアウトロー集団。

秀吉遺言は、日々の緒形拳さんの秀吉が神憑りすぎて史実云々の前に、丸は『老人虐待じゃね?』って思いました。
あれを面白いと思う人の神経が分かりません。

家康さんは、大体史実でも創作でも結果的に誰が悪いかとなると『家康さんでしょ!』になるので、ある意味、気の毒かなと思います。

新説はあくまで新説であり、こういう解釈も出来ますよ〜ですからね。史実ではない。

名前は大事ですよね。平安時代は爪とか髪も呪詛の対象になるから切ったら、その場で燃やしたそうです。

伊達政宗、意外とインテリなんですよね。個人的には伊達政宗の親戚の最上氏(この人も誤解されたのが史実と思われてる被害者)が京都に来た時に手紙で『都会(京都)人多いし怖い、疲れる、ご飯美味しくない、水が不味い、やっぱり地元が一番だね。早く帰りたい(涙)※超訳』と溢していたのがツボでした。東北に比べたらなぁ。

YU-KI
2017/01/05 04:33
丸を庇うわけではないし、杏奈さんの仰るような解釈もあるとは思いますが(丸の流れからすると、その解釈で大正解なような気がしますが。)

内野家康が『武田が滅んでも少しも嬉しくない。』は、家康自身が武田信玄に死にそうな目に遭わされた挙げ句、焼き味噌漏らすはめになっても生涯に渡り武田を特別視して尊敬していたという説から取ったのかなぁと思ってました(反対に信長さんについては、亡くなったあとはパッタリ話に出さなくなったそうで、築山殿事件思ったより恨み深かった?それか人質時代に何か許しがたいことがあったか)武田滅亡後に勝頼公達の自刃の地に景徳院建立して供養したり、武田の家臣団の再雇用もしてますし(統治政策のためだとも思いますが)

まさか風林火山で山本勘助してたからの台詞だったら三谷は筆折るべきだと思います。マジで。

YU-KI
2017/01/05 04:47
これはあくまでも想像の域なんですが、戦国時代は結婚しても、まずは自分の実家で財布は別意識があったらしいので(離縁したら持参金は持って帰れた。また奥方の持参金は結婚したからといっても、好きに旦那や嫁ぎ先が手をつけられるものではありませんでした)、結婚したけど『⚪⚪⚪家の娘さん』という意識は強かったのかなと?
ただ、対外的には三成公なら『宇多の〜(宇多家の娘だから)』で呼んで、本人には『奥』やら住んでる場所や部屋の方角から取って『佐和(佐和山から)』とか部屋の方角が南『南』とか呼んでたのかなと。

真名呼ばれた時は緊急時か危機的状態なのかなと?

嫁いでも名字変わらなかったみたいですからね。細川で言えば、細川忠興に嫁いだガラシャは生涯、明智玉だし。細川玉にはならないみたいな。途中洗礼ネームで通しましたが。結婚した友人が名字変わると『彼のものになった気がするv(ハート)』と言っていましたが、戦国にそんな甘い意識はなかったのかなと、もしかしたら。

結婚しても、仲良くはしても、子供作っても、魂は売るな!みたいな感じだったのかな?結婚も外交の1つの手段ですもんね。

服装については戦国の筆まめ野郎(外国人編)のルイス・フロイスが庶民女子〜武家女子の服装を割りと詳細に書き残してます。(フロちゃん、日本人の鼻クソのほじりかたと使う指まで統計取って書いてますからね)



YU-KI
2017/01/05 05:17
おはようございます。思い出したことがあり、付け加えをば……杏奈さんが触れられたように時代考証についてのジェームズ三木先生の記事は私も拝読しました。あれで思ったのが。今まで真面目に時代考証を守ったり、なるべく添うようにしていた大河スタッフや俳優陣に脚本家からしたら、丸の存在自体が納得いかない理不尽の塊なのかもしれないと思いました。やってられませんよね。私がその立場ならやってられませんわ。何だったの今までの厳しさや基準みたいな。
YU-KI
2017/01/05 07:45

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